10年前の2003年の07月31日に、個人サイト「借力」で、
バカが思い描いている日本地図を描くプロジェクト「バカ日本地図」をはじめた。

最初の書き込みはこんな感じ。
・鳥取と島根を統合し、島根は存在感が低いので全部鳥取としました。
・群馬・栃木・茨城の三つの区別がはっきりしてない人が多かったので、全部茨城にしました。
・愛媛と愛知の区別がはっきりしてない人がいたので、愛知も愛媛にしました。

結果がこちら。
vakachizu_030930

もし今はじめたとしたら、SNSで盛り上がったかもしれない。

そして現在、上のバカ日本地図の各地をクリックしたら、ご当地情報が見れるようにと始めた『chakuwiki』は、有志の管理人さん達のおかげもあって日々更新されており、今月は330万PVで毎月微増している。バカ日本地図とchakuwikiのPVを合わせると、累計で約4億PV。サービスやプラットフォームではなく、個人サイトとしては、ぼちぼちでしょうか。

さらに今、10周年ということもあったか、バカ世界地図をフリーハンドで描くという企画を、サイト参加者の方が自主的に企画してくれました。ありがとうございます。

しかし10年前は個人サイトがいっぱいあったのに、今見わたすとほとんど残ってなくて寂しい。
林雄司さんはあいかわらずだけど。

昔はブログやSNSなどのサービス・プラットフォームが無かったので、
個人がサーバを借りて勝手なサイトを作っていた。
そうすると、設定やらなんやら色々と面倒くさいことが多い。

今は、企業が運営するプラットフォーム上でやる方が楽チンだ。
しかし、個人サイトでは「マイワールド」を作れる楽しさがある。

プラットフォームでは、みんなと同じ形式で書かないといけないが、個人サイトは、何を書くかではなく、そもそもの「書き方」を決められるのが面白い。例えばchakuwikiでは「箇条書き」が必須となっている。これは、Wikipediaの、一つの文章にまとめて書く方法がイヤだという、すごく個人的な理由だ。

一つの文章にまとめるためには、視点を統一しなければいけない。ただ、そんなものが統一できるのは科学の世界だけで、物事の大半は視点がぐちゃぐちゃしている。だから、物事を描写するのなら、それぞれの人が感じたエピソード・物語を、過剰書きでぐちゃぐちゃに書いたほうが良いのではないかと思った。

Wikipediaは大変便利で色々とお世話になっているのだけど、そればかり見ていると、いつのまにか視点が統一されてしまい、物語を作る力が弱まってしまう怖さを個人的には勝手に感じている。

この科学と物語・文学の違いについては、夏目漱石が「私の個人主義」で書いている。

「普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るもの(物語)はきっと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含ふくまれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない」

他にも漱石は色々語っているので原文を読んでほしいけど、要は、普遍的な法則性の発見を科学は目指すが、文学では、そんなものクソくらえだという事。科学では、どの視点であろうと同じ結果がでる再現性を目指すが、文学では、視点が多いほど・結果が違うほど面白い。そもそも普遍的なワンパターンなものを作ってもしょうがない。

食べ物でも、科学的な普遍的に旨いように作られたマクドナルドのバーガーに対し、文学的に作られた、多種多様な日本のラーメンがある。それならば辞書でも、普遍的なものがあるなら、視点がバラバラなエピソード・ベースの辞書があるべきだろうとおもってchakuwikiを運営していて、その思いは今でも変わらない。おおげさだけど、その方がもともと文学的な視点が強い日本人にも合っていると思う。

冒頭で掲げている主旨、「chakuwikiは、バカが、バカなテーマで、バカな情報を集める場です」で言っているバカとは、必ずしも普遍的な正解を重視しない、という意味でのバカだ。

あと、昔は「ご当地の噂」といったテーマしばりがメインだったけど、これだと広がりに限界があるので、今後はキーワード単位の記事をもっと増やしたい。Wikipediaっぽくなってしまうという声もあると思うけど、これまで述べたように箇条書きしばりなので心配していない。

あとは、個人サイトなので、自分が死んだときにどう対応するかもそろそろ準備して、できれば死後も続くようにしたい。企業サイトは儲からないとすぐ消えるが、個人サイトは運営するのにお金も必要だけど、それが目的ではないので、同じ思いの跡継ぎがいればかえって長生きできるかもしれない。

こんな良いことだらけの個人サイト!今さらはじめてみませんか。いないか。