借力日記

谷口マサトのブログ

全てのWebコンテンツはパクリである。【現代バイラルメディア論考】

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美人すぎる貞子」という記事を二日前に公開した。もちろんリングのパロディだ。映画やドラマを宣伝するために、ウェブでパロディ記事を作ってという依頼は多い。ある意味モノマネ芸人のようなものだ。

なので、作詞作曲モノマネで有名なマキタスポーツ氏が書いた「すべてのJ・POPはパクリである」には共感する所が多く、とても面白かった。

この本は様々なヒット曲の因数分解を行い、似通っているパターンを抽出することで、誰でもサザン風、長渕風、といった曲を作れる方法論を書いている。もちろんそれを作った所でパロディに過ぎないのだが、「○○風の曲」というのは意外にカンタンに作れるらしい。

すると行き着くのは、何がオリジナルなのか?という問いだ。そもそもJ・POP自体、洋楽に日本語を載せたパロディソングではないか、という話にまで行き着く。そこまで突き詰めると、言いすぎではないか?と思う方も多いだろう。

それはまるで、芸術の展覧会に市販の便器を投げ込み、あんたらアーティストが言うオリジナリティとこの便器とは一体何が違うのか?と問うたマルセル・デュシャンを思い出させる。

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マキタスポーツが言っているのは、自作のオリジナルコンテンツでも、これは何かのパロディではないのか?と常に自問自答することで、何がオリジナルなのかという事が明確になって、かえってオリジナルなものを作れるという逆説だ。

つまり、「すべてのJ・POPはパクリである」と思うくらい、自問自答した上でオリジナルな曲を作るのがアーティストなのだと。なのでここでいうパクリとは、盗用とかそういう話ではなく、他人からそれは完全なオリジナルだと褒められようが、「いや、何かを知らずにパクってしまったのではないか」と自らを疑う批評精神の話だ。

ここで思い出したのは、ウンコを漏らした事でも有名なPARTYの中村洋基氏が、「自分が作ったある作品が、知らずに中村勇吾さんのパクリになっている事に気づいた。恥ずかしくて、勇吾さんから話しかけられない限り、自分から話しかけるのをやめようと思った」と書いていた事だ。(ウル覚えだけど)

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ただ、ここで問題になってくるのは、今日のようにネットで大量に情報に接していると、互いに影響を受けてしまい、何がオリジナルなのか、よくわからなくなってしまう事だ。なので、結果として似通ったものが出来やすくなっている。

そこでまた思い出したのは、先日ラジオ放送で流れた「“電波少年”T部長(日テレ)と田端さん(LINE)が殴りあいながらガチ論争」だ。本日、ラジオの書き起こしが全てアップされたので改めて読んで思ったのは、テレビ業界の土屋敏男さんの、作品に対する愛情や、作り手として新しい事をやっていこうとするテレビマンの気概だ。

ネットに比べテレビは一方的だが、だからこそ新しい「明日」のモノが作れたと。しかし今はユーザーの反応がリアルタイムに得られ、コンテンツビジネスも発達しているので、かえってそれに縛られて新しいものが作れなくなっている。

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この指摘はもっともで、本当のオリジナリティは、孤独がなければ作りようがない。例えばオーストラリアは大陸として孤立していたので、そこの動物は他の大陸とまったく違うようになった。同じく情報面でもある程度孤立しなければ、独自性が保てなくなる。なのでネットだけを見るのもまた危うい。

マキタスポーツも、オリジナリティは、その人の身体性や、その人だけが経験した事やコンプレックスからしか出てこないと言う。例えば「トイレの神様」は、歌い手が実際に経験した超個人的な話だからこそリアリティがあり、普遍的にウケたのだと。

そしてサザンや長渕も、歌い手の個性と歌が一致していてオリジナリティを発揮しているので、○○風の歌をいくら作っても、それは完全にオリジナルになることはないのだと。つまりJ・POPは洋楽のパクリなのでパクリ論争などバカバカしいんだけど、パクリを超えてオリジナルに達する道があるのだと。

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さて、最近バイラルメディアが他のコンテンツをパクっているのが話題になった。しかし面白いのは、複数のバイラルメディアの方から、オリジナルコンテンツを作りたいと相談されていることだ。ただまだその方法が良くわからないのだと。

出典なき転載は論外として、彼らが有利なのは、たとえ他所のコンテンツを紹介しているだけだとしても、何がウケるのかというデータを取れる所だ。ある意味、モノマネ芸人の初期ステージにいる。マキタスポーツが様々な曲のパターンを分析している段階だ。

これがもし上手く発展すれば、バイラルメディアがオリジナルコンテンツを産み出すようになる。そしてその作り方は、12年前からオリジナルコンテンツをつくっている、デイリーポータルZの林さんが出した本「ビジネス書」などを読めば沢山書いてある。

また、同じくナタリーの本も参考になる。この本では、デイリーポータルZが、好きなものを書くという方針なのと真逆で、好きじゃなくてもフラットに書くという方針で対極的で面白い。

また最近出した私の本は、これまでに書いた記事の経験から、広告費によって、ネットのオリジナルコンテンツにも制作費を流し込む方法を書いたつもりだ。(PR)
博報堂ケトルの嶋さんとインフォバーンさんとセミナー&ワークショップも開催する。

前述の林さんには「自分の身体を動かして何かを作っている人しか信じてないので、この前の谷口さんの本にしても現場の人が書いた本はありがたい。」とコメント頂きありがたい。(自慢)

そして近々、オモコロを運営するバーグハンバーグバーグのシモダさんの本も出るらしい(噂)ので心待ちにしている。偶然なのかもしれないが、オリジナルコンテンツを前から作っていた人たちの本が一斉に出版されているのも、なにかの流れなんだろう。シモダさんはまだ一文字も書いてないらしいが。

そしてバイラルメディアも、オリジナルコンテンツを産み出せば誰も文句を言わないだろう。なのでまずは「すべてのJ・POPはパクリである」を読んで、もしかしたらこのコンテンツはパクリではないか?という批評精神をもって、どんどん前に進んで欲しい。それがこれからの流れなのだから。

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そんじゃーね。

【スゴ本】弱者の戦略としてのナタリー

久しぶりにスゴく面白い本に連続で出会った。

まずは稲垣栄洋の『弱者の戦略』
弱者の戦略 (新潮選書)
稲垣 栄洋
新潮社
2014-06-27


そして大山卓也の『ナタリーってこうなってたのか』だ。


たまたま同時期に読んでいて気づいたんだけど、この2冊は言っていることが奇妙に一致している。

『弱者の戦略』では、「ライオンはシマウマより強いのに、なぜライオンの方が絶滅を心配されているのか?」という問いかけから、そもそも強いとは何かを考えさせ、生物界では「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのである」という鉄則を紹介する。

生物界の弱者の戦略は「スピード」と「多様性」がキモとなる。スピードは、繁殖する数の多さで、多様性は、食べ物にありつける、様々な小さなポジションを狙うことだ。
反対に強者は、「少数だが強い個体」が「もっとも美味しく大きなポジション」をとる。
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面白いのは、弱者と強者、どっちの戦略が良いかは、環境がどれほど変化するか(攪乱の程度)によって決まる(コネルの中程度攪乱仮説と言うらしい)。環境が不確定だと弱者が栄え、安定すると強者が常に勝つ。ここまでは分かる方も多いだろうが、本書が面白いのは、その具体的な方法を沢山の生物を例示しながら解説している所だ。そして不思議と、ナタリーがとっている方法と近いものがある。

例えばナタリーでは、一つ一つは小さな記事をスピーディに、様々なニッチな分野で日々量産し、通常の有名雑誌のようなスペシャル特集などはやらないという。これは弱者が多種を大量生産し、強者は少数精鋭の強い個体で勝負する、という事と似ている。

生物界では、安定した環境で強者はより巨大化、長命化していくが、それは変化に弱くなっていく事も意味し、かつての恐竜のように、環境が激変するとあっさり死滅してしまう。その場合、小さく大量に繁殖し、様々な場所で変化しつづけた弱者が生き残る。

これを、メディアを取り巻く環境に例えれば、インターネットがなかった状況に比べると、現在は非常に不確定な、先が読みにくい時代にいると実感する人は多いだろう。この場合、何が当たるかはコントロールが効きにくくなる。この場合、弱者の戦略が優位になる。

そして『ナタリーってこうなってたのか』では、サイトの方針である「全部やる」つまり、あらゆる音楽情報をフラットに扱うことを宣言し、1日100本の記事をアップしている。これは「弱者の戦略」で言えば、雑草のようにどんな場所でも種を撒き散らすことでどれかが生き残る(読者に引っかかる)事に通じる。本の次のくだりで、それが意図的であることがよくわかる。

「最近のナタリーは薄くなったんじゃない?」という声を目にすることがあるが、「最初から薄いんだよ!」と声を大にして言いたい。または全方位に向けてまんべんなく“濃い”存在でありたいと願っている。
(中略)
「君たちこういうの好きでしょ」とか「これをレコメンドするおれのセンスすごいでしょ」とか、そんな上から目線の自意識は20世紀に置いてくればいい。送り手の側は自分が持てるすべてを提示して、そこから先の判断は読者に委ねてしまえばいい。結果としてそこにあるのは玉石混交の雑多な情報かもしれないが、読者はその中から自分にとっての宝をつかみ取ってくれるはず。それがウェブという無限の荒野における情報流通の正しい姿だし、たぶんそれが読者を信じるということなんだと思う」

「無限の荒野」という表現から、ネットを非常に不確定な環境だと見ていると思うが、その環境に最適化した結果、不思議と弱者の戦略と同じ事をしているのだ。

また、「弱者の戦略」で面白いのは、ナンバー1を目指すべきか、オンリー1を追求するべきか?というよくある問いに、あっさり答えをだしている所だ。生物界では、ナンバー1しか生き残れない。なので、自分の得意な事を活かしたオンリー1なポジションをまず得て、そこで競争してナンバー1になるという手順をとる。

ナンバー1かオンリー1か?という問いかけが混乱するのは、どちらも自分の能力の話だと思うからだ。実際には、オンリー1とはポジション、市場の事なので得意な事を活かした方が良いし、ナンバー1とは能力の事なので、好きな事を活かした方が長期的には有利なのだ。

そしてナタリーでは、大山自身、「好きなことよりも得意なことを仕事にした方が良い」と言い、ナタリーは「たまたま誰もやってないから」作ったとドライに発言している。そして、たまたま好きなことと得意なことが一致したのだと。まさに弱者の発想だ。

ナタリーで何よりも大切にしているのは、「自分たちで記事を書く」ことだそうだ。当たり前のようだが、ウェブメディアでは他人の記事で相撲をとる事が普通になっている。
僭越ならが、私もくだらない記事を沢山かいているので、共感する事も多い。

最近出版した「広告なのにシェアされるコンテンツマーケティング入門」では、ネットでオリジナル記事を書く方法を書いたのでぜひ合わせて読んで欲しい。(PR)
本の発売に合わせ「コンテンツマーケティング実践講座(9月16日〜17日)」も開催する。



最後に、「弱者の戦略」のあとがきに書かれた
「一番強い者は、自分の弱さを忘れない者だ」という言葉は深い。

というのは、弱さを忘れたとたん、生物は変化を忘れ、強さを求めてひたすら巨大化していき、環境が変化すると死滅するからだ。その結果、実は弱い生物が生き残っている。

「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」というダーウィンの言葉が自然と思い浮かぶ。

・「弱者の法則
・「ナタリーってこうなってたのか
・そして「広告なのにシェアされるコンテンツマーケティング入門」(PR)

ぜひ読んでみてください。

“電波少年”T部長(日テレ)と田端さん(LINE)が殴りあいながらガチ論争 TVとネットのコンテンツはどう違う?

先週末のラジオ番組「J-WAVE:PRIMEFACTOR」でやってた、テレビ業界の土屋敏男さん(日テレ)と、ネット業界の田端信太郎さん(LINE)の対談「今、コンテンツの持つ『価値』はどう変わってきたのか?」に爆笑した。というのは、互いに一歩も譲らず、対談というよりケンカというかガチすぎる論争だったのだ。

「テレビはやっぱり面白い」と力説する土屋さんに対し、普通ならああそうですかと話をあわせる所を、嘘をつけない和製フォレストガンプのような男である田端さんが「今ならネットで友達と話してる方が面白い」と身もふたも無い発言。

「テレビには公共性がある」という土屋さんに対し、田端さんは「Wikipediaなど公共性があるコンテンツはネットでも様々にある」。このように、テレビだけにしかないコンテンツがある、という土屋さんの主張をいちいちバカ丁寧に反論していく。

面白かったのは、田端さんが反撃に出て「昔はテレビが数チャンネルしかない時代だったが、今は膨大な情報が溢れており、ユーザーがメディアを選ぶ時代になっている・・・」と話し出すと、土屋さんが「テレビにもCSやBSがあり、今ではチャンネル数は多い」と言い返したところだ。

「そういう事を言ってるんじゃない」と田端さんは思ったと思うが、二人の論点は違いすぎて、まったく落とし所が見えないんだけど、その分、作り物ではない生々しい番組で新鮮だった。ラジオって面白いな。

二人の話は噛み合わなかったが、雰囲気は闘犬のように噛み合っているという不思議な状態。話が合わないのは、そもそも「コンテンツ」の範囲が、それぞれ次のように前提が異なっているせいかなと思った。
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あくまで私の感想だけど、テレビはやはり、視聴者のコミュニケーションを、コンテンツとして含めずに話している。しかしネットではユーザーのコミュニケーションはウェブメディアにとって欠かせないものだ。例えばテレビの漫才にはボケとツッコミがあってコンテンツとして完結しているが、ネットではユーザーがツッコむため、ボケっぱなしのコンテンツが多い。完結させないことで、対話的にしている。

しかしそこで思い出したのが、先日のイベント「ソーシャルTV カンファレンス 2014」で出会った、テレビ番組「吉木りさに叱られたい」を作ったテレ東の合田知弘さんだ。


ウェブ的な、ユーザーと対話的なコンテンツで、ボケっぱなしでツッコミやすいように作られている。

「テレビってどんどん進化しているんですね」とカンファレンスで他のテレビ関係の方と話したとき、「うーん。合田さんはテレビ界では新しいタイプだからなあ」と言っていたのが印象的だった。テレビもまた対話的になっていくのだろうか。そもそも土屋さんというテレビマンがこういう場で対話に応じる事が対話的だし、そもそもネットの映像にどんどん挑んでいる方だ。

「演説的か、対話的か」というのは、田端さんの新著『広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい。』で大きなテーマとなっている。

そして、そんな田端さんに解説を書いてもらった新著「広告なのにシェアされるコンテンツマーケティング入門」では、具体的にユーザーと対話する方法を書いたつもりだ。ぜひ合わせて読んで欲しい。本の発売に合わせ「コンテンツマーケティング実践講座(9月16日〜17日)」も開催する。(PR)




それにしても、ラジオって対話的で面白いな、とあらためて思った。

※追記:ラジオの書きおこしがアップされたようです。
マンガ原作者&LINE社チーフプロデューサー。「chakuwiki」主催。著書『バカ日本地図』『広告なのにシェアされるコンテンツマーケティング入門』等7冊。

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